MGCで自身の殻を破り、思い切った勝負に出られるか?
その一方で課題もはっきりした。初マラソンの西山と池田を、勝負どころで前に行かせてしまったことだ。
大塚が複雑な胸中を明かした。
「35km以降が向かい風になると予想していたので、(風除けの選手がいるなど)良いポジションで向かい風を走りたかった。余裕があれば迷わず2人に付いたのですが、脚がしんどくなりだしていました。ラスト5kmが勝負になるから貯めておこう、という判断をしてしまったんです。終わってみれば、もっと勝負してもよかったのかな、という気持ちもあります」
そこで思い切りがあれば、2時間06分51秒の駒大OB最高記録を更新できていた可能性もある。駒大時代に指導を受けた藤田敦史ヘッドコーチ(4月に大八木弘明監督の後任として監督に昇格予定)が、富士通所属だった00年に出した、当時の日本記録である。
その藤田ヘッドコーチからレースの朝にメッセージが届いたという。自身の記録を大塚が破る予感があったのか、藤田ヘッドコーチに確認してみた。
「予感というわけではありませんが、あの記録は20年以上も前のもの。そのくらい更新しないといけないよ、という気持ちは込めました」
藤田ヘッドコーチは記録のことよりも、勝負に出られなかった点を厳しく指摘した。
「初マラソンの2人が強かったですけど、大塚も勝負に加わらないと。(大塚に躊躇ったことを悔いている様子があったが)そこを瞬時に判断することが、勝負に勝つための要因になるんです。MGCを勝ち抜くにはそこの勝負勘が絶対に必要になる。19年のMGCでは(駒大OBの)中村匠吾(30、富士通)がその勝負を仕掛けて、誰も付かせなかった。3年前の大塚は(中村、服部勇馬=トヨタ自動車、大迫傑=ナイキの)3人の勝負に加われなくても、あのメンバーで4位は本人としては上出来でした。しかし今度は“よかったね”ではダメなんです」
大塚自身も大阪のレースぶりから、MGCでの勝負に対して不安要素があることを認めている。
「2時間6分台を出せても若い2人に(勝負を挑めずに)負けたことは、MGCが厳しい戦いになると覚悟しないといけません。気を引き締めていかないと」
藤田ヘッドコーチの厳しい指摘は、教え子の力を評価すればこその言葉だった。
「大塚はラストのスピードはないかもしれませんが、匠吾のように勝負勘があれば勝てる選手になれるんです。MGCで(上位に入って)よかったね、で終わらせないために、あえて先輩として注文を付けさせてもらいます」
大塚は藤田ヘッドコーチの記録に6秒届かなかったことを、「ギリギリのタイムではありませんから、悔いはないです」と、少しも未練がましい様子は見せなかった。客観的に見れば6秒差は惜しいところだが、走った本人は“今の自分に超える力(資格)はなかった”と感じたのだろう。
勝負どころで思い切りのいいレースができたとき、MGCを勝ち抜くことも、(条件の良いレースなら)藤田ヘッドコーチの記録を抜くことも、大塚は実現させることができるはずだ。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)