NO WARプロジェクト「つなぐ、つながる」です。中国にあった旧満州に終戦後、多くの日本人女性が取り残され、現地で子どもが生まれました。彼らは日本に渡った後も苦しい生活を強いられました。

介護施設で体操をする高齢者たち。かけ声は中国語ですが…。

「(Q.お名前は?)草島忠」
「わたし、阿部友子です」

ここに通うほとんどが日本人。「中国残留邦人」やその子ども=「2世」です。

日本の傀儡国家「満州国」に国策で渡った27万人の人たち。終戦間際のソ連侵攻による混乱で多くが現地に取り残され、「中国残留邦人」となりました。

金子さん(79)。母親が旧満州に取り残され、中国人の男性と結婚、金子さんが生まれました。金子さんもやがて結婚して子どもをもうけ、中国の貧しい農村で暮らしました。

そして1984年、中国の家や土地を売って日本に来ました。しかし…。

金子さん
「中国では子どもの頃、友達に“日本の鬼”とののしられた。日本人にも見下されて、差別される。“中国人うるさい”と」

来日時、既に37歳になっていた金子さん。日本語は全く話せませんでした。

金子さん
「これはミシン。初めて日本に来た時、話がわからなかった。私、家、内職する」

ようやく見つかった内職と工場勤務で毎日13時間、休まずに働きますが、月給が5万円ほどの時期もあったそうです。そのため…。

金子さん
「これ全部、全部ごみ」

テレビも着る物も、ごみ捨て場から拾ったといいます。

金子さん
「本当にお金ないでしょ、初めて日本に来た時。貧乏。何もない。毎日泣く。毎日」

今、金子さんに支給されている年金は月に3万円。生活保護を受けて暮らしています。来日後に年金保険料を払い始めたため、満額受給に必要な年数に届かないのです。

日本に溶け込み暮らしている子どもや孫には、自分が経験してきた苦しみはわからないと、今は話すこともあきらめたそうです。

金子さん
「なにもわからない。中国人?日本人?自分もわからない。何人なのか。天ほど大きな悔しさも、墓場まで持っていくわ。毎日をただ生きるだけ。もう何も考えないの」