太平洋戦争の終戦間際に起きた「島田空襲」の犠牲者を悼む慰霊のつどいが7月26日に開かれ、当時、小学生で空襲を経験した人も参加しました。

空襲の爆心地・静岡県島田市の扇町では、犠牲者を供養し戦争の悲惨さを若い世代に伝えるため、毎年、慰霊のつどいが開かれています。

1945年の7月26日、米軍の爆撃機から扇町に1発の爆弾が投下され、47人が犠牲になりました。

爆弾は、原爆の投下部隊が訓練として落とした模擬原爆「パンプキン爆弾」でした。

26日の慰霊のつどいに参列した冨田昌弘さんは当時9歳。

現場から少し離れた小学校に登校し、授業が始まる前に爆弾が投下されました。

<冨田昌弘さん(90)>
「自習していたら、ガラスがバリーンという音がした。今でも(世界各地で)いろいろな戦争があるが逃げている人々をテレビで見ると、他人事に感じない」

参加した人たちは、慰霊碑の方角に向かって献花し、平和の尊さを改めて感じている様子でした。