北朝鮮による日本人の拉致事件。あの日、あの時、何が起きたのか。その当事者が、道内で初めて語りました。
拉致被害者、曽我ひとみさんです。7月3日、北海道で初めて講演を行いました。

曽我ひとみさん
「男性3人が足早に駆け寄り、私と母に襲い掛かってきました。抵抗することもできず、口をふさがれ、手足を縛られ、南京袋のようなものを被せられ、担がれて川まで連れていかれました」

曽我さんは19歳だった1978年8月、新潟県佐渡市の自宅近くで、買い物帰りに母・ミヨシさんとともに北朝鮮の工作員に拉致されました。その後、待っていたのは過酷な暮らしでした。

曽我ひとみさん
「私は闇市に行って、卵を買いました。家に帰ってさっそく割ってみました。ひよこになりかけのものが出てきました。もう一つ割ってみました。どろどろに腐っていました。でも何とか娘の誕生日のケーキは焼くことができました」

2002年、曽我さんは24年ぶりに帰国。しかし、母・ミヨシさんの消息は、今もわかっていません。


曽我ひとみさん
「今、私は母のいなくなった時の年齢をはるかに超えてしまいました。母が帰ってきたならやりたいことを好きなだけやらせてあげたい。洋服もたくさん買って、お洒落をしていっぱい旅行に出かけてもらいたい、そして家族みんなで笑い声の絶えない生活を存分に味わってもらいたいと未来に希望を持っています」

講演会では、当時中学1年生で拉致された横田めぐみさんを題材にしたアニメも上映され、参加者は拉致問題への理解を深めました。


曽我さんは拉致直後、横田めぐみさんと一時、同居生活を送っていました。

曽我ひとみさん
「外に出る機会がある時はちょっと離れた場所に行って、日本の歌などをこっそり歌ったりもしました。指導員に見つかれば大目玉をくらうとわかっていましたが、やっぱり2人とも日本が恋しかったのです」


札幌出身の石岡亨さんはヨーロッパ滞在中に拉致されました。

北朝鮮側は「ガス事故で死亡」と説明していますが、確かな物証は示されていません。

曽我ひとみさん
「遠目で見ることは一度あった。その後、お話することはなかったし、その時にお話することもなかったので」

拉致事件は、北朝鮮という国が主導した未曽有の国家の犯罪です。
日本政府が認定した拉致被害者は17人。

しかし、帰国できたのは曽我さんを含め5人だけです。















