81年後のいま、毎年行く先は…
敏子さんは毎年、大潮の時に遠浅の海を歩いて「ヌンドゥルガマ」という壕で手を合わせます。7人兄弟の5番目で長女の敏子さん。
米軍が上陸する3日前、81年前の3月23日に、爆撃から逃れようと3歳の弟、生後2か月の妹ら家族6人でこの海を渡り、ガマを目指しました。
「3歳になる弟をおんぶして、夜から歩いて行った。山が燃えていて、明かりでものすごくよく歩けた。裸足で」
――痛さは?
「そんなこと考えなかった。生きるか死ぬかだから、そんなこと全然考えない」
海水につかりながらも40分歩くと、うっそうと茂る草木の先に、命をつないだ壕「ヌンドゥルガマ」がありました。およそ1か月の間、200人ほどの住民が息を潜めていました。
取材班が島を訪れた4月、敏子さんはこのヌンドゥルガマに取材班を案内してくれました。

「ここにいましたよ、ここに。横になるどころじゃなかった。もう座ったまま。いっぱい入っていた。誰一人と口きく人もいない。話をする人もいない。シーンと」
静寂を切り裂いたのは、妹の泣き声でした。
「この子一人いなくてもいいから殺せ、と。大きな声で怒鳴りつけられて」
敏子さん家族は肩身の狭い思いで過ごしました。敵に気づかれないよう夜中に、畑に食べ物を探しにいきました。
「浜で兄が、『敏子、お腹いっぱいご飯食べてみたいね』と言っていた。その時を思い出す」














