「お父さんといつかピクニックに行こうね」
夫が病気になって3年が経った頃、7歳になった息子が描いた絵を、安徳さんは講演で見せた。
野原で手をつなぐ3人の家族。息子は元気な頃の父親の記憶が一切ない。
知っているのは病室でいつも寝ている父親の姿だけだ。
安徳晴美さん
「だけれども息子は決して病室のお父さんの寝てる絵を書いたことは1回もありませんでした。いつもいつもこうやって野原で手をつないでまたいつかピクニックに行こうねってそう言いながら楽しそうに絵を書いていました」
安徳さんには掛ける言葉もなかった。しかしこれが励みだった。
やがて息子はそのような絵も描かなくなった。
息子なりに分かったのだろう。
息子が描いた夢は、もう息子は手にすることができない。
小さかった息子は今、180cmを超える身長になり、父親と同じような体型に成長した。
7歳だった娘は、今はアパレルの店長としてバリバリ働いている。
安徳晴美さんが北九州市立大学の特別授業で語った話は
「倒れた日、朝の夫の顔色はどす黒くて・・・とにかく顔色が悪かったです」125時間30分の残業果てに妻が語った高校教師の「過労死」
「安徳君は頑張ったんだけどね。残念でしたよね」校長の言葉に絶句「過労死」した高校教師の妻125時間30分の残業の果てに
「命より大事な仕事はありません」高校教師の「過労死」 月125時間30分の残業の果てに・・・41歳で倒れた夫を15年間支えた妻の言葉
3部に分けて掲載しています。














