野球を始めたのは小学生の時
立石選手が野球を始めたのは小学生の時。当時は注目されるような選手ではありませんでした。
立石正広 選手
「周りがみんなうまかったですし、内野手というよりはセンターやったりして、センターとピッチャーを行き来するみたいなエースもほかにいたので…」
「硬式の野球をやってみたい」という思いで、中学から高川学園に進学。県外からの選手も多い中で、レベルの差を感じたといいます。
才能が花開きはじめたのは、中学3年生のころ。体が成長するにつれて打撃力も増していきました。
高校では1年生からメンバー入り。新型コロナで甲子園が中止になり県独自で開かれたメモリアルカップでは、2年生ながらチームの優勝に貢献しました。
その1年後には県大会を制した高川学園。立石選手は高校最後の夏に、初めて甲子園の土を踏みました。
高川学園は、初戦で石川県代表の小松大谷にリードを許す展開。5点を追いかける劣勢の中、重苦しい雰囲気を変えたのは立石選手の1振りでした。打球は放物線を描いてバックスクリーンへ。2点を返し、反撃ののろしを上げます。勢いがついた高川はその後同点に追いつき、最後はサヨナラ勝ち。チームは甲子園初勝利を果たしました。
立石正広 選手
「序盤であんなに点を取られて全国強いなと思ったので、逆転を狙うというより、せっかくここまで来たんだから、自分らしいスイングをしたいと思ってました。高校3年間頑張ってきたご褒美じゃないですけど、そういうのが形になってくれたんじゃないかなと思います」