「ニューヨーク・タイムズの社説を分析している記事、この中に、基地の返還をしないと沖縄問題は解決しないと。その基地が具体的に何かというと、那覇軍港とそれから ”飛行場” だと言っているんですね。当時大田知事は「米国内のこと」にかなり注目していた」
当時県は、国連本部で広報局員の経験があった仲地政夫氏を在米連絡調整員に起用、基地に関連する情報収集やその分析を委託した。仲地氏は、県民総決起大会から1週間後のニューヨーク・タイムズの記事を分析し、県に送っていた。野添教授がその報告を読み解く。

「 “飛行場” というのが、『airports』。複数形になっている。ここがミソで、仲地さんは、それをきっと読谷(補助飛行場)だけじゃなくて、普天間も入るとみて言っているんですね。このころから実際に」「大田知事は衛藤防衛庁長官(村山内閣当時)にも、普天間基地の返還を求めると言ったりして。一つのきっかけになっていったんじゃないか」
大田知事が注視していたのは、米国国内の報道だった。高山朝光氏もこう証言する。

「米国のメディアは、国会(連邦)議員が見ています。それによって米側の政策も意向をくみ取る場合がありますから、基地の整理・縮小に向けては米側の動きはものすごく重視していたんです。日本政府に要請してもなかなか米国への要請が弱い。そのために大田知事が重視したのは、米国をどう動かすか、ということだった」