
一方、村山氏が総理に就任したことにより、日米安保の堅持や、自衛隊合憲、日の丸・君が代容認へと、これまでの社会党の方針を大きく転換することになります。
また総理大臣時代、阪神淡路大震災を経験し、初動対応の遅れから、危機管理の在り方を厳しく問われることになりました。
戦後50年目を迎えた95年には、けじめをつけるのがこの内閣の役割であるとして、いわゆる村山談話を発表しました。
「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」

総理在任期間は561日。大規模災害や凶悪事件、多くの政治的課題に向き合った激動の総理時代であったといえます。
その後、2000年に政界を引退。2024年に100歳を迎えた際、村山元総理は「100歳の実感はないが、無理をせず、自然体で暮らすことかな。1日1日家族と過ごせることを幸せに思っている」とコメントを寄せていました。