きょう公開された昭和天皇の后・香淳皇后の歩みを後世に伝える「香淳皇后実録」。戦時中に皇后自らが兵器の部品を製作された詳細が明らかになるなど、戦時中の皇室の様子が浮かび上がってきました。
きょう公開された「香淳皇后実録」。宮内庁が17年の歳月をかけて完成させました。
香淳皇后は今の天皇陛下の祖母で、昭和天皇の后です。
先の大戦をはじめ、激動の時代を歩み、2000年に97歳でその生涯を終えました。
「実録」では「皇室」と「戦争」の接点が浮かび上がってきます。
香淳皇后実録
「大東亜戦争による失眼又は四肢切断等の軍人・軍属に対し、思召しをもって義眼・義肢を下賜されることとなる」
香淳皇后は傷ついた軍人に義眼や義肢を贈られていました。また、学童疎開が実施された際には、全国の子どもたちにビスケットおよそ41万枚を贈られたという記述も。
実はこの時、息子である現在の上皇さまも栃木県に疎開中。ビスケットを贈った日は12月23日、上皇さまの誕生日でした。
戦争が激化の一途をたどった1944年から45年にかけては…
香淳皇后実録
「グリッドの製作等をしてお過ごしになる。以後、この年は六月十一日まで頻繁にグリッドの製作をされる」
戦時中に使われたいわゆる「電波兵器」。「電波探知機」はその一種で、敵の潜水艦などから出るレーダーを探します。
その真空管に使われる部品「グリッド」は当時、労働力不足を補うために動員された女学生らが全国各地で作っていました。
こうした兵器の部品「グリッド」を香淳皇后も、皇居内の防空施設「御文庫」でたびたび製作していたことが明らかとなりました。
そして、終戦を告げる玉音放送を聞いた時のことも初めて記載されました。
香淳皇后実録
「午前十一時五十五分、御文庫においてラジオのスイッチをおつけになり、正午より大東亜戦争終結の詔書渙発の玉音放送を終了まで静かにお聴きになる。その後、天皇をお出迎えになり、御機嫌をお伺いになる」
日本の近現代史の貴重な資料になりそうです。
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