「特攻隊になりたかった」植え付けられた軍国教育

同じころ、予科練を卒業した人の多くが特攻隊として戦地で命を落としていました。当時の菅原さんはそれを「名誉」と捉え、入隊通知を待ち続けていました。

菅原郁夫さん
「なんで入隊通知が来ないのかなって。おそらくは終戦が近いので、入隊とかはほとんどなかったのかもしれない」

(記者:特攻隊に憧れることはあった?)
「ありました。それが私の本分だった。なりたかった。それが教育だよね」

しかし、入隊通知が来ないまま終戦を迎え、菅原さんは若柳町の職員となり、58歳のとき、町長に初当選しました。
その後、合併して栗原市となるまで17年にわたり町長を務めましたが、当時のことを語ることはありませんでした。戦争に振り回された過去に劣等感を感じていたからです。

菅原郁夫さん
「話してもしょうがなかったし、一番気にかけていたのは学校の卒業の過程。小学校(国民学校)しか卒業していない。その後入ってきた職員はみんな旧制中学を卒業していた人たちだった」