「23歳で夭逝した我が子、啓子。父として何ができるのか?」

亡くなった福島啓子さん

福島敏廣さん
「我が子に寄り添って生きていく。私は今、我が子が卒業した北九州大学のアイデザインカレッジでこの4月から大学1年生として心理学について学んでいます。これは私にとって我が子に一歩寄り添うことができたと感じると同時に、心理学を学ぶことで犯罪者、そして被害者の立場の心理、行動を少しでも理解できて今後の取り組みに生かせればと思ったからです」

「孫の世代の若者と一緒に教授の意味不明な言語に耳を傾け、ノートにペンを走らせながら我が子と同じキャンパスを共有していることを実感として受け止めています」

「亡き人の気配を実在のものとして生きる、生きていく力。どうして我が子は親よりも先に亡くならなければならなかったのか」

「父としてして、何もしてあげられなかった悔しさ」

「23歳で夭逝した我が子、啓子。父として何ができるのか?その答えは事件から20年を経た今も探し求め悩み続けています。時に自分の行動が恥ずかしいことをしていると思われているのではないかと不安になることもあります」

「啓子の気配は過去の思い出の中にあるのではない。今を生きる子供たちの笑顔や夢の中に確かに息づいている。亡き人の存在を気配として実在のものとして生きる力とする。それこそが私にできる最大の供養であり父としての責任。失った命を取り戻すことはできません。だが、亡き我が子の気配を感じ、共に歩んでいると信じることはできると感じています」