事件その後、啓子さんの遺骨は今も自宅に

福島敏廣さん
「事件のその後です。現在も啓子の遺骨は納骨せず自宅の娘の居場所に安らかに眠っています」
「1人だけ墓に入れるなんて寂しすぎるし、20年経った現在でも自宅に寄り添って一緒に生活することにしています。日々線香を灯し、朝昼晩の食事を備え続けております」
「妻は笑顔も失せて食事も喉を通らず、何一つ言葉も言えずに、ただ家の中でじっと耐えるだけの日々でした」
「我が子の顔写真の微笑んだ遺影に語りかけることで朝が始まります」
「この祭壇は全て自分で作りたいという思いで自らデザイン画を書き、ラフ図を何度も何度も書き直して業者と打ち合わせをしました。正面のピラミッドは啓子が以前に世界遺産を巡りたいと言っていたので、当時墓のイメージがありましたので啓子が好きなピンク色の大理石をピラミッド型に段差をつけて縦に半分に割って、敬子の写真とANAの飛行機の写真を埋め込み、それを合わせるとピラミッドになるよう依頼しました」
「またピラミッドの下の黒の大理石には、啓子が母親への置き手紙の文字を写しとって彫ってもらいました。『お疲れ様。色々ありがとう。無理はしないでね。じゃあ、また会いましょう。楽しみにしています。啓子。』そして全ての素材は桜の木で作り、中央部には、桜の木で紙飛行機型の模型を作り、ガラスに桜の花びらを彫っていただき、原案のラフ図を業者に図面に起こしてもらい時間をかけて幾度も修正をして、自分自身が納得した我が子の居場所を作り上げました」