「孫を抱いてみたかった」今年は啓子さんが44歳となるはずだった

講演する福島敏廣さんと福岡農業高校の生徒たち

福島敏廣さん
「生きていれば、元気でいれば今年44歳。幼い頃は私にそっくりと言われていて自分は嬉しかった。ただ目が大きいのでお母さんと似ているとも言われていた。顔や体型はどちらの親に似て成長していくのか楽しみであった」

「仕事は続けていただろうか?海外に住んでいただろうか?結婚していただろうか?孫は何人いただろうか?など思いはつきないし、やはり孫を抱いてみたかった」

「我が子に聞いてみたかったこと。それは、『お父さんとお母さんの子供として生まれてきてよかった?』そして『もちろん』と言って欲しかったこと。他にも色々と話したい、語り合いたいことは限りなくあります」

「人生は一度きり。我が子は生まれてきた、最初は私たちの人生を楽しく、幸せにするために生まれてきたのだと思っていました」
「最近になって広く幼児から大人まで夢を持つことの大切さと実現のサポートをしたいのではと思うようになりました。私たちは『我が子の意思を引き継ぐことが自分が生まれてきた意味だと思える生き方では』と思っています」

「私も皆さんも人生は一度きりです。戻ることのできない道です。これからも辛抱、我慢の連続です」

「私も辛い辛い悲しみを引きずりながら生きています」

「どうか『夢を語る公園』を思い出して、1人娘を殺害されても苦しみながら生きてる私のことを思い浮かべて耐えて生きてください」

福島敏廣さんの言葉は、9月16日に福岡農業高校で開催された「命の大切さを学ぶ教室」で語られたものです。

福島さんの思いは
「言い表せない感情のまま生き続けてきた地獄のような20年でした」【福岡3女性連続殺人事件】23歳の娘を奪われた父親の言葉①
「啓子は常に夢を語って生きていた」事件現場が『夢を語る公園』に【福岡3女性連続殺人事件】23歳の娘を奪われた父親の言葉②
「私の心からの叫びです。もう一度、我が子・啓子に会いたいです」【福岡3女性連続殺人事件】23歳の娘を奪われた父親の言葉③
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