長崎県の雲仙・普賢岳噴火災害で、被災者の救済や島原の復興に尽力した鐘ヶ江管一元島原市長が、22日 亡くなりました。94歳でした。

1980年から3期12年、島原市長を務めた鐘ヶ江管一さん。

1990年11月、約200年ぶりに雲仙普賢岳が噴火して以降、災害対策の先頭に立ち続けました。

1991年6月3日、43人の犠牲者を出した大火砕流惨事以降、島原市長を退任するまで噴火災害がおさまることを願って伸ばし続けた”ヒゲの姿”で知られました。

退任後は、噴火災害の教訓を多くの人に伝えるため全国各地で講演を行い、2002年からは雲仙岳災害記念館の名誉館長をつとめていました。

関係者によりますと、鐘ヶ江さんは、22日、島原市内の病院で息を引き取ったということです。94歳でした。

23日午後6時から仮通夜、24日午後7時から通夜、告別式は25日にいずれも島原市の江東寺で執り行われるということです。














