終戦から15日で80年。新潟県内でも追悼式が行われ、参列者は手を合わせ平和への祈りを捧げました。

「南区の戦没者に対して黙とう」

新潟市 南区で行われた追悼式には遺族らおよそ50人が参列し、南区内の戦没者1523人を悼みました。

出席者の一人、荒井功さんの父親は1943年、軍人として満州に出兵し亡くなりました。

【父親が戦死 荒井功さん(87)】「残った人が大変なわけだ。亡くなった方も大変だけどさ。残された家族が一番大変になる。農家だったから作業の面で大変なことになった。大事な働く人がいない。父親がいないわけだから。戦争はやっては駄目だね」

終戦から80年。戦争体験者やその遺族の高齢化が深刻です。この追悼式の開催に携わってきた戦没者の遺児らで構成される南区 遺族連合会の会員数は、今年350人になり、15年前と比べておよそ半数に減りました。

会員数が減り続けていることなどから今年度で解散する見通しで、

主催する南区は来年追悼式を開催するかどうかは、現時点で未定だとしています。

【南区遺族連合会 真保慶一 会長(71)】「孫の代に引き継げない遺族会は皆さん高齢で80歳以上がほとんどで、存続が難しい方向になってしまいます」

新潟市 中央区の護国神社では正午に太鼓の音が響き、参拝者が黙とうを捧げました。

【70代】「私もおじさんが亡くなっているが、戦争で亡くなった方の御霊に対して弔い申し上げるということと、家族みんなが幸せに元気でこれからもやっていけるようにと」

孫とともに参拝に訪れたこちらの男性。

海軍に所属していた父親は終戦の前の年、フィリピン沖で亡くなりました。
【新潟市内から(86歳)】「全然連絡がなくて、(終戦後)汽車で兵隊さんが帰ってくるわけですよ。それをいつ帰って来るかと迎えに行った覚えがある。できることなら孫たちにも戦争がない平和な世の中になってほしいと思う」

犠牲者への慰霊、今ある日常への感謝…

終戦から80年。訪れた人たちはそれぞれの思いを抱いて手を合わせていました。