NBC被爆80年シリーズ企画「銘板が伝える8.9」。第19回は現在の長崎大学病院、当時の長崎医科大学附属病院。患者200人が被爆したとみられています。

爆心地から東南におよそ700メートルの距離にあった長崎医科大学附属病院。堅固な鉄筋コンクリートの建物でしたが、原爆で外形を残したまま、内部は完全に破壊されました。
(39棟の建築物のうち、21棟は耐火レンガ構造、1棟は不燃鉄骨フレーム造。うち8棟は爆風の被害、31棟は爆風と火災の両方の被害を受けた、精神科病棟と看護婦寄宿舎などの木造建造物は全壊、全焼)

入院中の重症患者と緊急外来の患者あわせて約200人が被爆したとみられています。
当時、看護師の久松シソノさんは、病院の地下室で被爆しました。

久松シソノさん:
「ピカっと目を刺すようなひどい閃光がありまして、爆風で扉とか棚とか椅子、机、そういうものが飛び交って、倒れて、下敷きに、とにかく埋まってしまったわけですね」
どうにか地下室から脱出した久松さんは、原爆で負傷した患者らの対応に追われます。

久松シソノさん:
「10人ぐらいでしょう、負傷者に取りつかれてしまいまして、もう負傷者の血液が全部私の体に後ろも前もべっとりくっついてしまいました」

銘板の上の鉄枠は当時、内科病棟のベランダの手すりに填め込まれていたものと言われています。
