長崎市内の原爆被災碑銘板をたどるコーナー「被爆80年ノーモア銘板が伝える8・9」今回は長崎市宝栄町、浦上川にかかる竹岩橋です。

爆心地から南西におよそ500メートルの場所にあった竹岩橋。

1932年、浦上川にかけられた鉄筋コンクリート造りの橋で、原爆で橋床が45メートルほど下流に吹き飛ばされるなどの被害を受けました。

当時11歳だった小柳大勇さんは、樺島町から城山町の自宅に戻る途中、竹岩橋が落ちていたため、川に下りました。

被爆者・小柳大勇さんの証言「下に降りたんですけどそこにはもう何百もでしょうね、という人が死屍累々(ししるいるい)という感じで横たわっているんですよね、私たちが通っても気配で分かるんでしょうね『水下さい、水下さい』って言うんですから、その男の人が鉄兜が散乱してましたから拾って、何ですか潟といいますかね、泥水といいますか、泡藻みたいな水をくんできて、やるんですけど、全然飲み切らないんですね。でその人が飲ませてやる、そしたらほかの人も私も水下さいと」

浦上川の岸辺や川の中でもたくさんの人々が亡くなっていたと銘板には記されています。