好調の要因はアキレス腱痛の克服
6月1日の布勢スプリントまでは、小さな故障で練習不足の面があったが、7月5日の日本選手権は10秒23(追い風0.4m)で5年ぶりに優勝した。その後のヨーロッパ遠征では10秒0台を連発していた。冬期から練習が順調だったと、小島コーチは説明する。
「去年まではアキレス腱が痛いからこれはやめておこう、ということが多かったのですが、昨年の秋からは痛みがなく、ジャンプ系のメニューを含めやりたい練習が全てできています。今シーズンは記録も出せる、標準記録も切れるとチームで話していました。10秒0台もなかなか出せませんでしたが、体の状態と条件が合えば出せる自信は本人も持てていたと思います」
アキレス腱痛は慢性的な痛みで、完治は難しいと言われている。そこに“チーム桐生”はどう対処したのだろう。
「後藤トレーナーの献身的なサポートと、本人の意識の高さがあったからでしょう。食事や普段のセルフケアなど、細かいところをすごくしっかりやっています」(小島コーチ)
後藤トレーナーがアキレス腱痛がなくなった理由を、「桐生が我々の話を理解してくれたから」と説明する。
「アキレス腱痛は痛くても走れてしまうんです。接地時間が短ければ痛みがないので、ジョグはできなくてもスパイクを履くと走ることができる。初期のうちは特にそうで、それでどんどん悪化させてしまう。でも、MRIを撮ればどれくらい炎症があるかわかります。『今はそんなに痛くないかもしれないけど、(撮影した画像で)これがあるからダメなんだよ』と桐生に言えば、彼は我慢してくれます。普通は我慢できないんですよ、選手って。桐生のすごいのはきちんと理解して、聞き入れてくれることですね。スタッフを信頼してくれることが一番大きかったと思います」
21年東京五輪の個人種目代表を逃し、少しでも早く記録を出したかったはずだが、22年の日本選手権後には、シーズン後半を休養に充てる決断をした。23年に状態が良くなり10秒03も出したが、24年はまた練習を抑える時期が多くなり、パリ五輪もリレーだけの出場となった。それでも桐生は、東京世界陸上での再起を目指して無理をしない判断をした。それが今季の快走につながっている。
世界陸上では「余裕がある予選の走り」を
桐生がモチベーションを維持できたのは、リレーで貢献したい思いも強かったからだ。
「世界で戦うことはずっと、本人の中で大きかったはずです。個人で出られない年もありましたが、リレーではチームの柱になる、どんな状態でも日本代表として走る。その気持ちは持ち続けていました」(小島コーチ)
富士北麓ワールドトライアルで標準記録を切り、100mでの代表入りが確実になったことで、本番までのスケジュールに余裕を持つことができる。8月の複数レースで記録狙いに行くプランだったが、練習中心に切り換えていく。その中でレースで確認したいことがあれば、レースにも出場する。「中盤、後半を乗せるためには、スタートをもう少し研きたい」(桐生)と、練習期間が増えたことを活用する。
今回9秒99を出したことの意味は大きいが、その意味をさらに大きくするためには、今後が重要だという。「9秒台を出せないと世界で勝負できないと思ってきました。今後9秒99を超えて行くことや、世界陸上の結果で9秒99の価値が上がっていくと思います」。
4×100mリレーでメダルに貢献するのはもちろん、個人種目の100mでも決勝を戦うことが最大の目標だ。
「まずは余裕がある予選の走りをしたいと思います。サニブラウン選手を見ても感じますが、世界で決勝に残る人は予選で余裕を持つことが、気持ちの部分では大事だと思っています。予選をしっかり通過して、準決勝で勝負をしたい」
それも“チーム桐生”が結束すれば、決して不可能なことではない。そう思わせた9秒99の走りだった。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)