被爆当時8歳だった永瀬カズ子さんは、爆心地から500メートルの城山1丁目の自宅内で被爆し、両親と兄弟3人を亡くしました。4つ上の兄と2人残された永瀬さんは、8歳で子守り奉公に出て働き、学校にも通えませんでした。大人になってからも原爆症による体の不調で思うように働けず、被爆者という理由で差別を受け、3度自殺を図りました。永瀬さんは「原爆の悲惨さを語り継ぐために生かされたのだ」と考えるようになり、被爆体験を語るようになりました。(2001年撮影)
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