被爆当時16歳だった小幡悦子さんは、爆心地から1、2キロの三菱兵器製作所茂里町工場で仕事中に被爆。
2階の床から宙づりになっていたところを助け出されたが、両足に重傷を負いました。翌日、リヤカーを持って駆け付けた母や姉とともに、自宅へと戻ります。
3か月後、大村海軍病院に入院し、合計で6回、足の手術を受けましたが、膝が曲がらない不自由な生活を戦後も余儀なくされました。
昭和32年からは「被爆者の店」に50歳まで勤め、その後も被災協の仕事を手伝っていました。(1998年撮影)
注目の記事
大阪のテーマパークへ向かう途中…突然命を奪われた仲の良い5人家族 「いないことの辛さ受け止める日々」 遺族の思い 原因はトラック運転手の“ながらスマホ”か【新名神高速6人死亡事故 前編】

【黒田朝日選手の妹】仙台育英高校3年・黒田六花選手が挑む最後のインターハイ「いずれは(大学で)富士山女子駅伝の山登り区間を」

【独自取材】「え?女子高じゃないの?」 ということは…盛岡二高は男子も受験できるの? OGが母校に聞いてみた 岩手

“容量偽装”に偽の安全表示がついた“粗悪品”も… モバイルバッテリーの実態が明らかに 容量が10分の1程度しかない商品も【独自】

“幸せを呼ぶ青いアマガエル”見つかる なぜ青い?その理由とは… 「自分は緑になっている」と思いこんでいる? ちょっぴり悲しい側面も 発見者には実際に“ラッキーな出来事”も!?

【見た目問題】「“普通”に憧れ続けた」口唇口蓋裂の52歳男性 口元隠した過去を乗り越えて 「中身が好き」と言える妻と掴んだ幸せ 富山









