23日の慰霊の日、宮古島・石垣島など先島の各地でも戦没者を追悼する慰霊祭が行われました。宮古島市では「全戦没者追悼式および平和祈念式」が執り行われ、参列者たちが正午の時報に合わせて黙とうを捧げました。
宮古島市戦没者遺族会の川満俊夫会長(81)は、「この平和と繁栄が戦没者の御霊のうえに築かれたことを私たちは決して忘れない」と追悼の言葉を述べ、不戦を誓うと、児童生徒の代表らも平和を未来につなぐ決意を新たにしていました。
▼多和田旺誠さん
「戦争は大事な人やものを破壊する。それをわかっているのに、今もまだ世界のどこかで戦争があり終わらない」
▼儀保佑喜仁さん
「私たちはあの日、戦争はしてはいけないと学んだ。この学びは平和の世界のために、決して忘れてはならないものだ」
一方石垣市では戦時中、避難先の山の中などでマラリアに感染して亡くなった犠牲者の追悼式が行われました。八重山では沖縄戦当時、旧日本軍の命令で島の住民のほとんどがマラリア有病地帯と知られていた山の中などへ強制的に避難させられ、そこでマラリアに感染し、3600人あまりが亡くなりました。
遺族会の唐真盛充会長は、兄が強制避難命令の1か月後にわずか5歳でマラリアで亡くなったことを話し、戦争の悲惨さを訴えました。
▼八重山戦争マラリア遺族会 唐真盛充 会長
「80年前のあの沖縄戦での住民の犠牲、そして軍命による八重山戦争マラリアの甚大な犠牲を忘れてはなりません」
式では、平和への思いを綴った歌が八重山民謡のとぅばらーまの曲に乗せて披露され、参列者全員で平和を守り継ぐことを誓っていました。