1945年8月9日、内田保信さんは当時17歳でした。

爆心地から1.4キロ離れた長崎市家野町の友人の自宅で被爆。爆風で飛ばされた内田さんは気絶しましたが、助けを求める声で意識を取り戻します。

1954年内田さんは組合活動を通じて知り合った女性と結婚。その後、長男が誕生。しかし、被爆者同士だっただけに正直不安を感じながらの出産でもありました。

内田さんは生前1人でも多くの若者たちに核兵器の恐怖を語り継いで欲しいと語り部活動に力を入れていました。

内田さんは2010年に平和祈念式典で被爆者代表として核兵器廃絶への願いを世界に向けて発信しました。被爆体験を語り継ぐことに力を注いだ内田さんは、2023年に老衰のため94歳で亡くなりました。