1945年8月9日、内田保信さんは当時17歳でした。
爆心地から1.4キロ離れた長崎市家野町の友人の自宅で被爆。爆風で飛ばされた内田さんは気絶しましたが、助けを求める声で意識を取り戻します。
1954年内田さんは組合活動を通じて知り合った女性と結婚。その後、長男が誕生。しかし、被爆者同士だっただけに正直不安を感じながらの出産でもありました。
内田さんは生前1人でも多くの若者たちに核兵器の恐怖を語り継いで欲しいと語り部活動に力を入れていました。
内田さんは2010年に平和祈念式典で被爆者代表として核兵器廃絶への願いを世界に向けて発信しました。被爆体験を語り継ぐことに力を注いだ内田さんは、2023年に老衰のため94歳で亡くなりました。
注目の記事
【ボクシング重岡銀次朗さん】元世界王者のリング事故から1年…麻痺と言葉の壁に直面しながらも「兄弟で前へ」

病で倒れた技能実習生を襲った不法滞在の危機“想定外”の長期療養に直面したベトナム人青年「今回は特例」で終わらせない 問われる受け入れ環境の整備

【天気頭痛】「気圧が原因」は思い込みかも…痛み止めの飲みすぎで慢性化、脳卒中などの見逃しリスクも 「日誌」で自分のパターンを知って対策【医師が解説】

「午前3時にギャー」夜泣きに悩むママを救う“深夜限定カフェ” 『10人に1人が産後うつ』の時代を救う拠り所の理想と現実 新潟市西蒲区

生乾き臭は “菌の代謝物” だった… 今年の梅雨こそ しぶといニオイと離れたい『部屋干しの正解』

「今更苦労する気はない」旧宮家の男性が語る“男系男子養子案”への困惑 皇室典範改正の裏で議論進まぬ“お金”と“皇位継承”の問題【edge23】









