NBC被爆80年シリーズ企画「銘板が伝える8.9」。第9回は、長崎スタジアムシティの向いにある浄土宗・聖徳寺。あの日、寺の防空壕には傷ついた人々が次々と避難し、助けを求める声が渦巻いていました。

爆心地から南南東におよそ1.5キロ、長崎市銭座町小高い丘の上に立つ聖徳寺です。

1626年に創建された聖徳寺の本堂は、戦時中、徴用工の寮として利用されていました。

原爆の爆風にも耐えた中興碑の横に、被爆直後の寺の様子を伝える銘板があります。

住職:
「石灯籠を除いてはすべて倒壊いたしました。本堂も今の本堂よりも1.5倍ぐらい大きな本堂だったそうなんですけどものすごい爆風を受けたようで全壊してしまった」

聖徳寺の崖下にある防空壕には原爆投下直後から傷を負った被爆者が助けを求め次々と避難しました。

寺のすぐ近くにあった三菱兵器製作所幸町工場で被爆した貞方善一さんは、当時の様子をこう証言しています。

貞方善一さん(当時18歳)
「ここはもう地獄でした、11時半ごろね原爆が落ちてからここに集中しましてねもう女、子どもの泣き叫ぶ悲鳴「助けてくれ」と、親を求めて泣き叫ぶ子ども傷ついた男女かわいそうでしたこの中からね、助けを求める声がひどかったです」

十分な治療も受けられず防空壕でなくなった人々は、聖徳寺の周辺で荼毘に付されました。

今は、子どもたちの元気な声が響き渡る「寺」で80年前、何が起きたのか「銘板」は静かに伝え続けています。