新潟水俣病の公式確認から5月31日で60年。環境大臣が10年ぶりに出席し、歴史と教訓を伝える集会が開かれました。

新潟水俣病は工場排水に含まれていたメチル水銀が原因となった公害病で、1965年に公式に確認されました。
公式確認から60年の節目の5月31日、10年ぶりに環境大臣が出席し歴史と教訓を伝える集会が開かれました。

【浅尾慶一郎環境大臣】
「高度経済成長の中で、この新潟水俣病の発生を防ぐことができなかったという歴史的事実は、60年たった今、改めて重く受け止めなければならないと考えています」

胎児性水俣病患者の古山知恵子さんは、病気と旧昭和電工への思いを文字に込めました。

【胎児性水俣病患者 古山知恵子さん(60)】
「私をこんな体にしてどうしてくれるんですか。責任をとってください。私を生まれ変わらせてください。しゃべらせてください。話せるようにしてください」

これまでに717人が患者と認定されましたが、国の基準で水俣病と認められなかった被害者による裁判が続き、関係者の高齢化が進んでいます。

【新潟水俣病第5次訴訟 皆川栄一原告団長】
「私たちにはもはや時間がありません。これ以上裁判の引き延ばしはしないでください」

去年、熊本でマイクの音を切って批判された懇談の場で浅尾環境大臣は、予定時間を延長して関係者の声に耳を傾けました。

ただ、出席者からは政治解決を図るという姿勢が見られなかったと憤りの声が上がっていました。