城尾哲彌の素顔
1965年頃に暴力団松本組(95年4月に「水心会」と改称)組員となった城尾哲彌。以後、ほぼ一貫して暴力団組員として活動し、水心会傘下の城尾組組長、水心会若頭にもなり、次期会長を期待されていたといいます。

しかし、次期会長としての器を問われ、2002年5月頃には会長代行とされて、実質的に降格に。次第に組織内で浮いた存在になっていき、犯行当時は直属の配下となる組員はほとんどいなくなっていました。
食費も節約、知人から弁当
犯行当時は元妻や実母からまで借金を重ね、食費も節約する生活を送っていました。

『被告人は06年2月に前妻と離婚し、息子と2人で暮らしていた。被告人は、毎月の水心会の会費を納めなければならず、幹部組員としての交際費等も必要であった』
『前妻と離婚後は、知人の弁当屋から弁当を分けてもらうなど食費も節約していた。06年6月頃から前々妻や実母、前妻ら周囲の者から多額の借金を繰り返すようになった』