その後、甲府回りのルートについて甲府市街地の南を通すか北を通すかで大論争に発展。

政争の具にもなりこの区間の着工は大きく遅れました。

そして迎えた1982年(昭和57年)11月、唯一残されていた勝沼~甲府昭和間が開通し中央道は全線開通となりました。

一方、2012年12月には笹子トンネルで天井板が崩落し9人が死亡。

交通インフラの維持管理のあり方に警鐘を鳴らす出来事もありました。