道原の持ち味は、光電管計測で50m5.81秒を叩き出した走力。50m走の日本記録は元短距離選手の朝原宣治氏が記録した5.75秒なので、そのスピードがいかに突出しているかがわかる。この走力を生かし、3年春には神宮球場では珍しいランニングホームランを記録している他、4年の春季リーグ戦ではチームトップの5盗塁をマークした。秋季リーグでは、16日現在で39打数12安打、打率は.308と3割台で、打撃も好調をキープしている。
あまりの速さにつけられたあだ名は“ニンジャ”
6歳から野球を始めた道原。「小学校ぐらいからずっと(足が)速くて、もうずっとチームで一番っていうタイプでした」と振り返る。小学5年生の時に父の仕事の関係で移住したアメリカ・シカゴでも野球を続け、そのスピードから現地では「ニンジャ」と呼ばれていた。父の赴任生活は2016年秋頃まで続いたが「甲子園でプレーしている高校球児にすごく憧れを持っていた」という道原は、2015年、中3の夏に単身で帰国。楽天・田中将大投手(33)らを輩出し、甲子園での優勝経験もある駒大苫小牧高校に入学して甲子園を目指した。その後、高校2年生の秋の全道大会で優勝し、高3春のセンバツに出場。念願の甲子園の地を踏んだが、試合前のシートノック中、一塁を守る道原の右目に送球が直撃する悲劇に見舞われる。
「たんこぶができるぐらいかなあって思っていて抑えながらやっていたんですけど、結構ひどかったみたいで、他の選手からもちょっとベンチ戻れって言われて。実際顔半分ぐらい血だらけになっててそのまま走ってベンチ戻って、救急車で運ばれて病院行ったって感じです」
その後緊急手術を受けたが、左目の視力1.5に対し、右目は0.5に悪化。今も右目だけコンタクトを装着しながらプレーを続けている。
甲子園への思いが原動力
夏の大会でチームは予選で敗退したため、道原は憧れの甲子園でプレーすることが出来なかった。「実際にプレイボールにはいなかったみたいなところで、(甲子園に)行ったけど行ってないというか。その悔しさが逆に今にすごくつながっているなというふうに感じているんです」と話す道原は「大学で、神宮で、優勝だったりとかを味わえたら、その悔しさが少しでも乗り越えられるんじゃないか」と考え、立教大学に入学。東京六大学野球でプレーし、プロ注目選手にまで成長した。「(プロの)レベルはすごく高い。でも実際そこでできたら最高だろうなっていうふうには思ってましたし、その思いは少なからずあります」。
甲子園に憧れ続けた“ニンジャ”に吉報は届くのかー。運命のドラフト会議は刻々と迫っている。
■道原慧(みちはら・さとる)プロフィール
2000年10月11日生まれ。172㎝74㎏。右投左打 千葉県船橋市出身。父の転勤に伴って小6になる直前の3月に米・シカゴに移住。中学3年の秋になって単身帰国し、仙台の吉成中に転校した。高校は北海道の駒大苫小牧 立教大学では2年生の春からリーグ戦に出場。初スタメンの3年春の開幕戦・法大戦でランニング先頭弾をマークした。
大学通算成績47試合、打率.273、48安打、2本塁打、17打点、13盗塁。
好きな野球選手は阪神・近本光司外野手。














