1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災。発災のその日から現地に入り、支援に当たったのが岡山市に本部を置く国際医療ボランティア団体のAMDAです。手探りだった災害医療。当時得た気づきは現在の活動にも繋がっているといいます。グループの代表らに聞きました。
たぶん災害史上初めての“医療ボランティア”
(AMDAグループ 菅波茂代表)
「あれは私たちが経験した初めての大規模な災害なんですよね。だからもう想像も何も無かった。何が起こっているのかも分からなかったんですけども、とにかく被災地の現場に行こうと」

大規模な火災、崩れる建物…壊滅的な被害にあった街です。

岡山市に本部を置く国際医療ボランティア団体AMDAは1995年1月17日の夜、神戸市に入り被害の激しかった長田区を中心に巡回診療などに当たりました。
(AMDAグループ 菅波茂代表)
「筋肉が打撲を受けて細胞の中にあるものが外に出て腎臓に詰まるという、そういう病気を初めて私たち経験したんですけれど、そういう新しいことがいろいろとありました。今思えば」
ボランティア元年と呼ばれたこの年。全国から多くの医師らも力になれないかと集まりました。
(AMDAグループ 菅波茂代表)
「医療ボランティアというのが、たぶん災害史上初めてだと思うんですね。だから予め災害ではどんな医療が必要とか、ぜんぜん当時は(ノウハウが)無かった中で、現場で経験しながら対応していったという感じ」
多くの命を奪った大震災。被災現場では1分1秒を惜しみ救助が続けられました。
(AMDAグループ 菅波茂代表)
「72時間以内に助けられる命をどのくらい助けられるかが勝負なんだよという話はこの時の教訓です。この時はこんなことは誰も知っていなかった」














