「これが最後の言葉になったとしても…」3か月前、私たちの取材にこう話していたウクライナ軍兵士。この半年間、私たちはウクライナにいる様々な立場の人たちを取材してきました。いまどんな思いで過ごしているのでしょうか。今回3人の方に再び話を聞きました。“それぞれの半年”を振り返ります。

半年前の2月24日。ロシアがウクライナへ侵攻を開始。南東部マリウポリでは小児科や産科が入る病院が攻撃を受け、その後、多くの子どもたちが避難していた劇場が空爆されました。


私たちはそのマリウポリの最前線で戦い負傷した兵士を5月に取材していました。
「これが私の最後の言葉になったとしても全力を尽くす」と語っていた男性。今どこで何をしているのか。再び話を聞くことができました。
■「前線での1日は小さな一生」妻と7歳の子どもに会うため戦う兵士

ウクライナ軍 副司令官
「髭も剃らずにすみません。敵の砲撃がずっと続いていました」

男性がいたのは東部ドネツク州。副司令官として最前線の戦闘に戻っていました。ちょうど砲撃が落ち着いたタイミングだといいますが…

ウクライナ軍 副司令官
「状況はとても厳しいです。ロシア軍は持っているあらゆる武器で無差別に攻撃してきます。住宅も学校も関係ありません。そのため私たちは塹壕に隠れながら応戦しています。食い止める武器はありますが、押し返すだけの武器がありません」
小川彩佳キャスター
「前回のお話の中では『最後の言葉になっても全力を尽くすしかない』とおっしゃっていました。ウクライナ侵攻から半年が経ちますが、今はどんな気持ちですか?」

ウクライナ軍 副司令官
「ウクライナ兵士にとって前線での1日は小さな一生です。前線に来た直後に戦死する人もいます。さっきまで一緒に話しながら食事していた人が15分後にスナイパーや砲撃によって亡くなることもあります。私たちの今の人生は年単位ではなく、1日、1時間、1秒単位で計られています」

男性が戦い続ける理由、それはロシアに連行され行方が分からない妻と7歳の子どもに会うためでもあるといいます。

ウクライナ軍 副司令官
「ロシアの東部に連行し、強制的に国籍を押しつけウクライナに絶対に帰れないようにしているのです。ロシアに勝たなければ妻と子どもにも会えないのです」
インタビューの最後、男性はこう語ってくれました。
ウクライナ軍 副司令官
「私のことを思い出してくれてとても嬉しかったです。生き残ることができたらまた話しましょう」
■ボクダンさん「ずっと寝られない」不眠症、溜まるストレス

侵攻直後、首都キーウも攻撃を受けました。この時、状況を伝えてくれたのが、中心部に住むボグダンさん(36)です。
再びボグダンさんに聞いてみると。

キーウ在住 ボクダンさん
「戦争前というほどではないのですが、普段の日常が広がっている。ただずっとキーウの方にもミサイルが発射され続けていて、都度警報が鳴って、それがうまくウクライナ軍によって撃ち落とされている状況です」

ボクダンさんは今、仕事の傍ら破壊された家を直すなどボランティアをして過ごしています。また、日本からの支援物資を届けることも。

ボクダンさん
「例えばレトルトの日本の食品や女性用の生理用品、男性用の日用品、シェーバーなどが主に送られてきて、僕らがそれをお届けして。非常に多くの人から日本に対してありがとう、感謝の気持ちを聞きます」
その一方で悩みも。

ボグダンさん
「僕自身はずっと寝られない。不眠症という形でそれが最近酷くなっていて」
テレビ塔が攻撃された日は、愛犬にも異変が…
ボクダンさん(3月)
「ワンちゃんもずっとイライラしていて、私たちの足下をいったりきたりしています」

その3か月後に愛犬を、そして同居していた祖父を病気で続けて失ったボグダンさん。
ボクダンさん
「やっぱり引き金になっているのが戦争によるストレスだと感じています。これから戦争と病気、いろんなことの因果関係というのは出てくると思います」