「なぜ日本なのか」という問いには、「日本と祖国(注・会話では国名)の文化は似ている。一生懸命働くこと、優しいこと…。国籍はないけれど、私の国は日本、気持ちは日本、他の国にはない」という答えが返ってきた。
話を聞いたのは1時間ほど。話題は難民をテーマにした英文の博士論文の内容など多岐に及んだが、やりとりはほとんど日本語だった。私はこれまでにも、日本国籍を取得した元インドシナ難民を取材してきたが、男性の会話の実力はまったく遜色ないと感じた。
欧米では、国籍取得期間の短縮や語学レベル緩和で“できる限り容易に”
難民条約34条が規定する義務を、どうみるのか。国際人権法が専門の阿部浩己明治学院大教授に話を聞いた。
阿部教授はまず、「34条は難民に国籍を認める義務を国に課したものではないが、一般の外国人に比べて国籍取得の手続やコストを和らげ、しかも“できる限り”という条件を付けてあらゆる努力を払うことを法的に義務付けている」と大前提を示した。
そのうえで、34条の背景にある考え方を説く。
「難民問題の解決には、1)本国に戻る、2)第三国に定住する、3)避難した国が受け入れる-の3つの方策がある。しかし、1)と2)が現実的でない場合、残るのは3)しかない。そこで、世界中のどの国からも保護を受けられない“難民”という状態から救うために、その人を難民と認めた国には、できるだけ一員として受け入れるように必要な手だてを講じる義務を課した。欧米の場合、国籍取得に要する期間の短縮や語学能力のレベルの緩和など、“できる限り容易なものとする”措置をとって条約の義務を果たしている」
今回の裁判について阿部教授は、「国が34条の義務を果たしているかどうかを見る最大のポイントは、男性の国籍取得を“できる限り容易なものとする”ために、何を具体的にしたのかにある」といい、「国側が何も示せないのであれば、条約を誠実に順守する義務に反する」と指摘する。
地球上で行き場を失う人たち
裁判は、いましばらく双方の主張のやりとりが続く。
4年前、東京高裁が言い渡した判決が強く印象に残っている。旧ソ連の崩壊で無国籍となったジョージア生まれの男性について、難民と認定しなかった国の処分を取り消した事例だ。
「(男性は)難民であるばかりでなく無国籍者でもあって受け入れ見込み国が存在しないこと、退去強制命令を発すると地球上で行き場を失うことは、(入管の)審査官ら担当者にも一見明白だった」
「地球上で行き場を失う」。この言葉は出身国の保護を受けられないすべての難民にあてはまる。だからこそ、人権が守られない無国籍状態を放置せず、一刻も早く解消することが求められている。
難民男性からの新たな問題提起に、裁判官は、果たしてどんな判断をするのだろうか。
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<“知られざる法廷”からの報告>
裁判所では連日、数多くの法廷が開かれている。その中には、これからの社会のあり方を問う裁判があるが、報じられないまま終結してしまうことも少なくない。“知られざる法廷”を取材して報告してみたい。