フジコ・ヘミング 疎開先での「初恋」

そんなフジコさんの青春時代は、戦争の真っただ中にありました。

(フジコ・ヘミングさん)
「日本の兵隊がたくさん小学校に駐屯していた。その中の一人が私の初恋の人なんです。私よりずっと年上だったからもう亡くなったらしいですけど」

「一度だけ彼がしゃべった言葉は、『きょうはピアノを弾かないんですか』って。廊下でお会いした時に。私は一言もしゃべれなかった。それで終わっちゃったんです。終戦になって行ってしまったから」

戦後、不遇の時を過ごした先に

戦後。ヨーロッパで才能を認められたフジコさんですが、コンサートの直前に風邪をこじらせ聴力を失うという悲劇に見舞われ、長く不遇の時を過ごしました。その後、左耳の聴力が回復。

その波乱の人生を描いたドキュメンタリーが放送され、今では国内・海外の多くのファンがフジコさんのコンサートを心待ちにしています。

(観客)
「とても素晴らしい音色で、とても心に響いて。涙が、途中で聴いていてあふれてきて。感動しました」
「いままでの人生、いろんなことがおありだったですよね。そういう全てが演奏にのっているというか」

ウクライナ、そして国籍のあるスウェーデンへの思い

ウクライナでもたびたびコンサートを開いてきたフジコさん。フジコさんのファンの中には、いままさに戦火にさらされている人もいます。

そのフジコさん自身、スウェーデン国籍。スウェーデンもいまロシアの脅威に…。

(フジコ・ヘミングさん)
「私、ウクライナには毎年行って演奏していたんです。だからとっても考えられない。悲しくて」

「私はスウェーデン国籍です。スウェーデン人みたいに頑として中立であったほうがいいけど、でもそこへ爆弾か何か飛ばされたら、地球は吹っ飛んじゃうんじゃない?今に」