中重さんが警察官を志したきっかけは、高校生の時に地元の駐在所の警察官と話したことでした。
中重勝 さん
「警察の仕事であるとか、そういうのを聞いているうちに徐々に駐在所のおまわりさんはすごいんだとあこがれるようになって」
「射撃」との出会いは、警察学校に入ってからでした。
中重勝 さん
「学校の授業ではトップではないけど、よく当たる方だった。教官も筋がいいねと言ってくれた」
県警の強化指定選手にも選ばれた中重さん。アジア大会が地元・広島で開催されたことが大きなモチベーションになったといいます。
中重勝 さん
「運がよかったですね。広島でアジア大会があるというのは、わたしの力ではどうにもならないことなので」
― 地元愛が強いですね?
「もう広島県、大好きです。地元の三次市、大好きです」
その後、初出場したアトランタオリンピック。RCCには当時、24歳の青山高治 アナウンサーと中重さんの共演映像が残っていました。これには中重さんも…

中重勝 さん
「若いですね~。青山さんも若いですね~(笑)」
しかし、オリンピックではメダルを獲得できませんでした。
中重勝 さん
「ほかの世界大会と違うことはないんですけど、なんか自分の中で "オリンピック" というくくりをつくってしまっているから、ふだんと違う成績になってしまうのかなというのはあります」
苦しんだことも多かったという中重さん。
しかし、射撃をやめようと思ったことはないといいます。

中重勝 さん
「魔物は自分自身と言いましたけど、やっぱり最後、“信じるところは自分しかないんです” 。自分が自分をあきらめたら、もう自分が終わってしまうような気がして。絶対、そこは強い気持ちは持っています」