◆座長がキャスティング権を持つことの功罪
『人志松本のすべらない話』(フジテレビ)は、もともと楽屋での芸人さん同士の話が面白い、と始まったようなものです。テレビの評価と違う「楽屋真打ち」みたいな存在は、昔の寄席の時代からありました。
「楽屋だと一番面白い人」というような人に光を当てるシステムが『すべらない話』で、あれは本当に発明だったと思うんです。でも、どうしてもそのノリで作っているから「これ、公共の電波に乗せていいの?」っていうようなもの、例えば女性蔑視や、いわゆる部室のノリがそのまま誰も止められないままいっちゃっているっていうところがあります。
それが許されるということは、その話の元になる実際の行動もどんどん正当化されていくという恐ろしさがあります。ましてや出演者の中でその場を仕切っている松本人志さんが、キャスティング権も持っているから話は深刻です。
出演者がキャスティング権を持つということ。これは昔から、大橋巨泉さんや関口宏さんの番組もそうでした。ビートたけしさんにしてもそうかもしれませんね。「座長」にそれを仕切らせるから、あの笑いが具現化できるところは実際にあるでしょう。
でも、ある一人のタレント、ある一つの事務所への依存度がどんどん高くなっていくのは、それがお笑いのためだったのに、最終的に笑えない状況を作り出してしまうということを、ここ数か月でわれわれは学んでいるわけです。
◆「お笑い」は本能に素手で触れる仕事
お笑いは素晴らしいものだと思います。当事者にならずに、あれほど高確率で大声を出して何か感情を吐露するような装置ってあまりないと思うんです。音楽は感動と結びつきやすいと言われていますが、お笑い番組が人を笑わせるほど、音楽が人を泣かせることはありません。
だからお笑いは、本能に素手で触れる仕事の中でも、すごく確率の高い、精度の高いものの一つだと思っています。お笑い芸人の人たちがそこに誇りを持つ、みんなに尊敬されるというのも、自然なことだと思うんです。
◆キャスティングに第三者的視点を
テレビって、なんとなく視聴者の最前列で見ているという気持ちになりますよね。寄席だと最前列のお客さんになるわけです。テレビは視聴者を、テレビに出ている人の背中越しにそこに参加しているような気持ちにさせてしまう。
特に僕が子供の頃と違って、テレビは1人1台、ましてやスマホだと、もうタブーの境界線がどんどん移動して曖昧になっています。結果として、みんなで笑えるような笑いの基のがどんどんぐにゃぐにゃになっている。
昔は笑いの等高線みたいものがあったのに、まだらになったり、途切れてしまったりしているのが現状だと思うんです。
「硬いことは言っちゃダメ、言うだけ野暮」というジャンルだからこそ言いづらいんですが、テレビのキャスティングには第三者的な視点が必要だと思います。フランスには議会における男女の数を同等にする、パリテ法というものがありますが、日本のテレビにも、例えばジェンダーバランスや、事務所バランスある程度規制するものがないと、これからは番組の維持自体が難しいことになるんじゃないでしょうか。昨年末以降、それを強く感じますね。
おそらくは茂木さんが言いたいことはこういうことじゃなかったのかな、という問いかけも含めて、そんなことを考えました。














