資源は枯渇・従業員も減少… そして「閉山」へ
「やっぱり鉱山にいたかったな…」故郷に馳せる想い

従業員も減っていき、1973年に閉山に追い込まれました。

採掘が終わったあとも、鉱山からは金属を含んだ水が流れ出ています。このため、いまなお、処理場で廃水を中和し、金属を取り除く作業が続けられていました。

管理を担う職員は5人で、かつての賑わいは影をひそめています。

中学校卒業まで上北鉱山で生活 野村不二男さん(89)
「人を案ずる。せっかく、これまで仲良く暮らしていた人が日本国中にちらばった。離れてみれば、やっぱり鉱山にいたかったなという気持ちはあった。故郷は一番いいでしょ?」


日本の工業発展を支えた上北鉱山。その輝きは歳月の流れとともに薄れていき、昭和の遺構は木々が生い茂る森へと姿を変えつつあります。
①廃墟のようになった“集落の消えた鉱山” 施設の跡地
②最盛期には3500人以上が暮らした鉱山の集落
③人々がこよなく愛した“鉱山の街”ならではの暮らし
④“神風鉱山”の異名も 銅の1か月産出量が1400トン超もあった上北鉱山
⑤“鉱山の街”で目の当たりにした戦時下の窮地「忙しかった、鉱山は…」
⑥生産体制月2万トンに 全国出荷で高度経済成長の建設ラッシュにも貢献
⑦「水道・電気・畳も無料」鉱山にいれば生活に心配することはなかった
⑧四季折々 様々な楽しみがあった“鉱山の街”
⑨資源は枯渇・従業員も減少… そして「閉山」へ
【記事を最初から読む】
【追加画像を見る(高画質)】














