“神風鉱山”の異名も 銅の1か月産出量が1400トン超もあった上北鉱山

山あいに築かれた“鉱山の街”。
本格的に開発が始まったのは、1935年です。戦時色が強まるにつれて、力が入れられたのは、銅の採掘でした。

銅は砲弾などの製造に欠かせない軍需物資で、増産は国策上の大きな命題となっていました。

当時の雑誌は上北鉱山を特集し、作業員は「戦士」、坑道は「突撃路」と表現していました。1か月の生産量は1400トンを超え国内随一。“神風鉱山”の異名をとりました。

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