戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。第2次世界大戦中、旧ソ連から強制連行された過去を持つ東ヨーロッパ。それから80年以上が経った今、再びロシアの脅威に直面し、「歴史が繰り返されている」と不安を募らせています。

東ヨーロッパ・バルト三国のラトビア。第2次世界大戦の最中、ラトビア人にとって、忘れられない1日がありました。

ペテリスさん
「父親は強制収容所に送られました。父親を最後に見たのが、1941年6月14日でした」

1941年6月14日。ラトビアに侵攻していた旧ソ連軍が人々を強制連行したのです。この1日だけで、およそ1万5000人が連れ去られ、そのうち6000人あまりが収容先で亡くなりました。

当時4歳だったペテリス(87)さんも、父親が軍人だったことから反抗勢力とみなされ、家族と共に父親とは別の収容施設へ。

ペテリスさん
「毎日パンが配布されましたが、1人たった100グラムでした。それで生き延びるしかなかったのです」

その後、ぺテリスさんはラトビアに戻ることができましたが、この期間に父親を含め家族4人が亡くなりました。遺体が戻ることはなく、ペテリスさんはその後、自宅の庭に亡くなった家族の名前を記した木々を植えました。

ペテリスさん
「木々を育てるのは、弾圧の記憶を残す必要があるからです」

旧ソ連軍による、厳しい弾圧。専門家は「歴史は繰り返されている」と指摘します。

ラトビアの歴史研究者
「当時、ラトビア人はロシア語しか通じない環境に置かれ、自分たちの文化を否定されました。ここで起きたことがウクライナでも繰り返されています」

2022年に始まった「ウクライナ侵攻」。少なくとも280万人以上がロシアに強制連行されたとみられています。

ウクライナ人のイェフへンさん一家も、子どもたちが一時、モスクワに強制連行されました。

一時、ロシアに拘束されたイェフへンさん
「私は軍と関係があったため拘束されて、子どもたちはどこかに連れていかれました。彼らは子どもたちにモスクワで好きなものを与えて誘惑し、ロシア化を強要しました」

記者
「今、こちらの広場では、80年以上前の記憶を語り継ごうと、当時連行された人など400人が集まり、祈りを捧げています」

今月、ラトビアでは、歴史を語り継ぐための集会が開かれました。

当時、旧ソ連軍に連行された人
「誰かが止めなければ、ロシアはまた攻めて来るでしょう。ラトビアは、また危険にさらされます」

ロシアと国境を接するラトビア。ウクライナ侵攻以降、ロシアの軍事用無人機が領内に侵入する事態も起きていて、忘れられない「あの日」が繰り返されるのではと緊張感が高まっています。