「私の子どもでも分かる、人の目を見て人の話を聞くということもできない役員の人たちを見て、私はこの会社は何も変わる気がないんだ、と。3年経ったとて、何も変わる気がないんだと。この会社のあり方を諦めました」

それでも、愛さんは姉たちが命をかけて伝えたことは何だったのか、自分の中でずっと問い続けたそうです。
その中から導き出されたのが「対話」だったと言います。
「この会社のあり方を例え諦めたとて、姉たちが帰ってくることはない。それであるならば、私は会社と共に何ができるのかを考えたいと思い、ずっと対話を試みてきました」







