戦争が激しくなると教員も徴兵されました。
三木さんたち生徒は出征した人たちの無事を願い、自分の名前を書いた日章旗を贈りました。
当時の日章旗が都留高校に残され三木さんの名前も記されています。
三木寛さん:
「そのころは日本が戦争で勝つという雰囲気だった。もう喜び勇んで勝つようにという気持ちで(書いた)」

三木さんは学校を卒業後、県の職員になり、当時人員不足だった県東部の小学校に赴任しました。
そして1945年3月、20歳のときに徴兵されました。
平山アナウンサー:
「どんな気持ちでしたか?」
三木寛さん:
「来たか…と」