「3・11がございましたので『え、まさか』という思い、それを一番先に思いました」

こう当時の心境を話すのは、いわき市久之浜町に住む水野谷百合子さん(85)です。

水野谷さん「新聞をみるのが日課なものですから、新聞をあけて、それにテレビをかけていました。そうしましたらテロップがでまして」

テレビでカムチャツカ半島の地震の発生を知った水野谷さん。津波注意報が警報に切り替わる中、カバンに貴重品と飲み物を入れ、家族4人で歩いて避難したといいます。

――どのような気持ちで避難したんですか?

水野谷さん「とにかく津波を、3・11の時にここで見ていますので、もう恐怖ですね、やはり」

東日本大震災の津波でいわき市久之浜町では、47人が亡くなり、その教訓から3階建ての津波避難ビルが建てられました。30日、この建物に避難した水野谷さんは、近くにこうした津波避難ビルがあることは住民の安心につながると話します。

水野谷さん「3・11の経験で、車で避難するというのは狭い道の渋滞を見ていますので、私くらいの歳になりますと、腰痛い、足痛い、身体的に普通なんですね。ですから、遠くというのはNG、近い方がいいです」