福島県内で長く愛されている老舗の今を伝える「老舗物語」。
今回は福島県南相馬市原町区に佇む『菓詩工房わたなべ』。

おとぎ話の世界から抜け出してきたような温かな店構えが、訪れる人を優しく迎える。店内にはウサギをかたどったプリンやラーメンに見立てたケーキなど、子どもの心をくすぐる愛らしいお菓子が並ぶ。

100年続く「夢売る商売」の精神

「サービス業として一体何を売りたいのかっていうところを常々父から言われておりまして、それが『夢売る商売』っていうとこです。」

そう語るのは、この店の4代目・渡部匠さん。

ちょうど100年前、和菓子店「猪狩家」の名前で始まったこの菓子店は、その後「菓詩工房わたなべ」と名前を変え、洋菓子の販売にシフトしながらも地域に愛され続けてきた。

店の看板商品となっているのは、クリームがぎっしりと詰まった「小高秀」。

一口かじると、口いっぱいに広がる甘さと優しい食感に思わず笑みがこぼれる。この商品は匠さんが生まれた年に3代目の父・幸史さんが開発したもので、地元の人々に長く愛されてきた逸品だ。

震災が変えた人生の選択

匠さんは工場内に作ったダンボールハウスで遊ぶなど、お菓子のすぐそばで育った。

しかし、『より多くの人と関わる仕事がしたい』という思いから警察官を目指して大学に進学。家業を継ぐことはほとんど考えていなかったという。

そんな匠さんの人生を大きく変えたのが、2011年の東日本大震災と原発事故だった。当時、店のあった小高区は全域で避難を余儀なくされ、無人となった店にはメッセージだけが残された。

「すぐ帰れるものだろうと思って行っていたものの、待っている時間の中で父ももういいんじゃないかと心折れる部分はあったんです。」と匠さんは当時を振り返る。

一方で町の人からは『お店を再開してほしい』との声が多く寄せられていた。
その声を聞いた匠さんは「自分が4代目をやるから、一緒にやろう。」と父に伝え、大学2年生という若さで退学を決意する。

再開への厳しい道のり

お店の再開に向けた道のりは平坦ではなかった。

「親方(父)からはすごい怒鳴られて、口も聞いてもらえないような時もありました。」と匠さんは当時の苦労を語る。

それでも諦めることなく努力を続け、震災から3年後の2014年、原町に場所を移して店を再開した。

再開後、震災からの復興を願い町の人を元気づけようと開発したのが『幸せをつかめ』というお菓子。この商品は震災後の菓詩工房わたなべを象徴する大ヒット商品となった。

店も徐々に軌道に乗り始めた矢先、2022年に父・幸史さんが亡くなる。静岡での修行から急きょ戻った匠さんは、正式に4代目として店を受け継いだ。

「常連客から『お父さんはすごかった』という声をよく聞きます。何くそ、この野郎って感じで、もっともっと頑張って父を追い越してやるという気持ちでやっています。」

新たな挑戦と未来への決意

匠さんは家族や当時からの仲間と共に、父が作り上げたこだわりや味を守り続けながらも、新たな挑戦を続けている。今年4月には洋菓子店の隣にカフェをオープン。地元の素材を活かした料理で訪れる人を笑顔にしている。

「私たちが目指す『おとぎ』の空間というのは、地域の方々がみんなで集まってくつろいで、美味しいお料理やケーキを食べて笑顔になって、気持ちよくなってお帰りいただくところです」

料理を作る匠さんの手つきは手際よくスピーディーでありながら、とても丁寧だ。そこには「お客さんを笑顔にしたい」という強い思いが込められている。

「お料理を販売するんじゃなくて、私たちの職業は夢を売る商売だというのが、ずっと父が言っていたんです。」

震災、原発事故、そして父の死。幾多の困難を乗り越えてきた匠さんは、今も「もう精いっぱいやるのみ」という姿勢で、菓詩工房わたなべの未来を切り開いている。
「これから1年先、5年先、10年先、さらにこの店舗を進化させて、さらに空間を良くしていくのは、この先ずっと目指していく場所です。」

南相馬の小さな菓子店から発信される「夢」と「幸せ」は、これからも多くの人々の心を温め続けていくだろう。

『ステップ』
福島県内にて月~金曜日 夕方6時15分~放送中
(2025年6月12日放送回より)