兄に会えなかった逢いたかった
佐藤裕菜さんの手記
「私は兄に会えなかった、逢いたかった。兄は私が生まれてくるのを人一倍楽しみにしていてくれたそうだ。切なさ悔しさがこみ上げ憤りを感じる。母は事故後、精神的に不安定になり夫婦喧嘩は絶えず家族崩壊寸前」
裕菜さんには幼い頃、近所の公園で遊んだ記憶があまりありません。

母・佐藤早織さん:
「家の目の前が公園だったので(裕菜が)『自分もあそこに行って一緒に遊びたい』と。でも私は男の子を見るのが嫌で、そこで裕菜を一緒に遊ばせるなんて絶対に嫌で、翔樹はとても妹に会うのを楽しみにしていたのに会えなくて、それなのに他の男の子と遊ぶなんてとてもじゃないけど。そういう気持ちがあって公園に連れていくことができなくて」
転機が訪れたのは、母・早織さんが他の遺族たちと交流し事故根絶の活動を始めた頃です。裕菜さんにもある思いが芽生えるようになりました。「命を救える存在になりたい」







