「本当に多くの人に恵まれて幸せな人生やった」苦難の中に見出した希望
(中田敦子記者)
「これまでの人生を伺うと、あまりに過酷で言葉を失います。しかし、ご本人は、ご自身の人生を『幸せだった』と振り返るのです。その理由は、人との出会いにありました。
夫はとても真面目で優しく、責任感の強い人でした。入所者で作る自治会では長年会計を務め、周囲から厚い信頼を寄せられていました。周りには自然と人が集まり、そのおかげで、女性もたくさんの友人ができたそうです。『生まれ変わってもまたこの人と結婚したい』と、微笑みました。
戦後、園長の許可を得て、夫と一緒に沖縄にいる叔母に結婚報告に行った時のことも話してくれました。叔母は、二人がハンセン病だと伝えても全く気にせず、それどころか『よう、もらってくれたな』と夫にいったそうです。親族は誰も差別することなく、二人を温かく迎え入れてくれました。
園内でも多くの友人に恵まれ、カラオケや盆踊りを楽しんだといい、療養所での生活をこう語ってくれました。
『3ヶ月で帰れると騙されたのは腹が立ったけど、本当に多くの人に恵まれて幸せな人生やった。もし大阪の軍需工場で働き続けていたら、空襲で死んでいたと思う。ここに来れたから生き延びられたんやと思う』
取材の時、大切にしている二つの指輪を見せてくれました。左手の中指には結婚指輪、そして右手には、看護師の娘さんが作ってくれたという指輪が輝いていました。その手に深く刻まれたシワが、歩んでこられた人生の過酷さと、その中で見出した希望の力強さを物語っているように見えました」










