幼少期「死んだら海に捨てるしかない」と告げられた

長い教員生活で培われた軽妙な語り口で心をつかみ、本題に入っていきます。

(竹内 昌彦さん)
「私ね、70年近く生きて3回ほど『死にたい』と思うたことがあったんですよ。そのときに気をつけなければいけんのは、『この悲しみが一生続く』と思うから、絶望するんですよ。これは間違いでした」

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「その後にね、必ず『やっぱり生きとってよかった』というときがみんな来た。だからこうやって生きとんですよ」

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1945年2月、竹内昌彦さんは中国の天津で生まれました。警察官の父【画像⑪】とともに、半年間をこの地で暮らしました。当時、目は見えていました。

見えなくなったのは終戦後、天津からの引き上げ船でのことでした。生後6ヶ月の時に風邪をこじらせ急性の肺炎にかかり、何日も生死をさまよいました。

同じ船に乗り合わせた医師から、『死んだら海に捨てるしかない』と告げられましたが、何とか一命をとりとめました。

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