私にとって死刑は「最高刑ではなく、最低刑」
加藤さんは、処分は国に委ねるしかなかった当時の胸の内を語りました。
(加藤裕司さん)
「私は検事にも警察にも言いましたけど、元死刑囚の男を許すつもりは無いので、法治国家である以上、処分というのは国に委ねるしかない。それの最高刑が “死刑” だということでした」
「でも、私にとっては、最高刑ではありません。最低刑なんですよね。『最低でも死刑』なんですよ。最高は、『この手で死んでってもらう』ということですよね、目の前で。娘が味わった屈辱以上の屈辱を味わわせてから、死んでってもらう。これが復讐というか、素直な考えですよね」
「おそらく娘、息子、お父さん、お母さんを殺害された家族が思うことだと思います。それを法律が遮っているんで、復讐はできない。国に委ねるしかないんだけど、心の底では自分で敵を討つ、そのような思いがあります。だからそのことも言いました」

「じゃあ、どうするか。死刑囚は今では30年~33年に1人ぐらい仮釈放になるんです。ひと昔前の有期刑が20年が最高刑だった時は、無期懲役は6~7年で出てたんですよ。驚くでしょう」
「これが有期刑が30年に延びたことによって、つじつまが合わなくなって、出ては犯罪を犯してまた戻る、という『再犯』がすごく増えたのもあって、30年~33年に1人か2人しか出ないという状況になっていました」
「それに忠実に従うとなると、おそらく元死刑囚の男は、真面目に過ごしてれば、60代で出てくるということです。その時に私は90代になっています。90代の老人に何ができるか。何もできません」
「何もできないけど、計画は出来ますよね。元死刑囚の男が釈放されたら、速やかに連れ去って、私の目の前に連れて来る。そして私の目の前で娘が味わった屈辱以上の屈辱を与えて死んでいってもらう」
「そのことによって、私が逮捕されて死刑になろうが何も構わない。そう思っていました。無期懲役になったら、必ずそれをやると宣言しました」
「残念ながらというか、幸いにもというか、死刑判決が出ました。本当にありがたいなと思うのは、真面目な裁判官と裁判員の方と検事と弁護士の先生。多くの支持者の方に支えられて死刑判決が出た」
「マスコミの方からは、『非常に珍しい事件ですね』と言われました。『初犯で、1人の殺人で死刑判決になったのは初めてです』と言われました。私はこれが珍しいと思ってないです。当たり前なんですよ。それだけのことをしてきたんですから」
「ところが、それ以降、同じように死刑判決が地方裁判所で出た2件が、同じ人間によって高裁でひっくり返されました。要は無期懲役なんですよね」

「私が元死刑囚の男を『死刑以外考えられない』と思ったのは、誰しも自分の死が目前に迫った時に何を思うかというと・・・辛いですよね」
「おそらく娘も、もうこれで自分は助からないなと思った瞬間があったと思います。そのとき娘が何を思ったか、それを想像するとすごく辛いです。『お父さん助けて』ともし言ったとすれば、それが出来なかった自分が辛いですよね」