死刑判決へ立ちはだかる大きな壁『永山判決』
加藤さんは、検事から知らされた事実に深い悲しみと怒りを抱えました。
(加藤裕司さん)
「知らされたのが、『強姦殺人だった』ということです。それまでは殺人事件というようなことで、自分が作った創作物語を言ってました」
「証言を変えた内容が、ことごとく証拠物と一致してたんですね。これは間違いないだろうということで、『強盗強姦が起きたんだ』ということを、その時に初めて検事さんから知らされました」
「それを聞いた時に、私はどんな悪人であっても、人間である以上どっかいいところがあるって反省をし、償いをし続けたら、われわれとて人間だから、20年後、30年後にひょっとしたら許せる、というような甘い考えを持っておりました」
「ところが、娘は強姦までされて殺されたのかと聞いた時には、『もうこいつは絶対許さない』と思いました。裁判所が許そうが、神様が許そうが、仏様が許そうが、私は許さない、そういう思いで一生懸命勉強に臨みました」

「一生懸命勉強すればするほど、分かってきたのは、『元死刑囚の男だけが戦う相手ではない』ということでした」
「『永山判決』というのがありました。1983年に最高裁で死刑判決になったんですけど、永山則夫元死刑囚が1960年代に19歳でピストルで4人を射殺した事件がありました」
「未成年ということと、4人ピストルで射殺したという重い事実で、かなり揺れ動いたんです。最終的に十何年かかって最高裁が出した結論は、死刑でした」
「そのときに死刑にする条件として、9つ挙げていました。社会的に大きな影響を与えたとか、殺害の内容がとてもひどいものだったとか、いろいろ項目がある中に、“殺人の数”というのがありました」
「考えたこともないと思うんですけど、1人を殺害したの場合は、有期刑。つまり、懲役15年とか20年とか。2人殺害して無期懲役、3人以上の殺害で死刑、という条件を出したんです」

「馬鹿げた条件だと私は思います。人の命を数で数えるのか、ということですよね。昔から道徳の授業とかで人の命は地球よりも重いと教わってて。“殺人の数”で死刑にするかしないかを決めるのはどう考えてもおかしいですよね」
「しかし、それが現実で大きな壁でした。われわれの弁護士の先生にも、おそらく無期懲役だろうと言われましたが、私は神様が許しても許さないと思っていましたので、無期懲役なんか考えたこともなかったですね」
「でもひょっとしたら、社会の流れから、無期懲役になる可能性は十分ありました。というのが、私の娘の事件より数年前さかのぼって見てみると、本当にひどい殺害事件があったのも、ことごとく無期懲役でした」