激戦地で撮影した写真

【画像⑤】

そんな激戦地で多田野さんが撮影した写真が今も、残っています【画像⑤】。

(多田野弘さん)
「私はどうせ生きて帰ることはできないかもしれない。でも戦地でこんなに元気で働いていたということを家族に知らせてあげたいと思って」

【画像⑥】

自宅からカメラを持参していた、多田野さん。共に戦った仲間たちの姿を撮影したフィルムは肌身離さず持ち運んだといいます。

(多田野弘さん)
「(フィルムを入れた)リプトン紅茶の四角い缶を袋に入れて腰にぶら下げて。船が沈んでも一緒に浮いていたらひょっとしたらリプトン紅茶の缶は残ります」

(多田野弘さん)
「そうや、これです。全部特攻で逝ってしまいました」

凛とした表情を浮かべる、青年。開戦から約3年後の1944年10月にフィリピンで始まった敵艦への体当たり攻撃=「特攻」で命を落とした仲間です【画像⑦】。

【画像⑦】

多田野さんは、特攻機となった零戦への爆弾の装着を任されていました。日本で初めての特攻隊「敷島隊」を見送った時のことは、今でも鮮明に覚えているといいます。

【画像⑧】

(多田野弘さん)
「『総員、見送りの位置につけ!』と、スピーカーから。特攻が出ていくから皆で見送れと、地上員は。私たちは滑走路の脇へズラーッと並んで待っていました」

「一番偉い人がおりました。その人と水盃を交わして終わった搭乗員が、それぞれ私たちが整備した飛行機に乗って、私たちの前を徐行して、戦闘機が…」