◆ままならぬ日常に寄り添う
1950年生まれの八代亜紀さんがデビューしたのは1971年。すぐに人気に火がついたわけではなく、2年後に「なみだ恋」で120万枚売れたのをきっかけに、その後どんどんヒットを連発していきます。
八代亜紀さんのファンには、男性が多かったと言われています。セックスシンボル的な役割も担っていて、たとえば映画『トラック野郎』には20代のときに女優として出演しています。僕も鮮烈な印象が残っています。
一方で、女性刑務所からの慰問リクエストNo.1でもありました。彼女の歌は人生に苦労した人が共感するもので、彼女自身もまた、ままならぬ日常を過ごす人に対して寄り添うような歌い方でした。そういう歌をあえて好んで歌っていたというイメージがあります。
◆歌の神様に選ばれた人
なんといっても彼女の名前が語り継がれることを決定的にしたのが1979年の「舟唄」です。これ、歌詞を読むと「男歌」ですね。阿久悠さん、浜圭介さんコンビで作られました。劇中劇って言葉がありますが、「舟唄」には曲の中に「ダンチョネ節」という曲が含まれています。
いわゆる本歌取りといわれる、組曲のような形になっているんですが、これが素晴らしい出来なんですよね。ポルトガルの「ファド」という悲しい歌を連想する人もいるかもしれません。
「舟歌」の翌年、1980年には「雨の慕情」という、これまた大名曲が出たことで、彼女の名は歌謡界の中で、しっかりと刻み込まれます。
30歳ぐらいで早くも大きなピークを作った八代亜紀さんですが、先述したとおり、元々歌っていたスタンダードジャズを歌い続けたいという気持ちをずっと持っていて、それを叶えたのは、21世紀になってからです。
ピチカート・ファイヴの小西康陽さんのプロデュースで、素晴らしいジャズアルバムを2枚出しました。それ以前にもジャズをはじめ洋楽的なアプローチをしていたこともあったんですが、2012年に出した「夜のアルバム」で、ジャズシンガーとしてのデビューを飾ります。まさに原点回帰でした。
晩年は熱唱というよりも軽く抜いて歌うようなスタイルを身につけて、この歌い方は「八代亜紀スタイル」としか言えません。彼女は本当に歌の神様に選ばれた人だと思います。ロックフェスに出演して観客にサプライズを与え、これからも活動を広げていこうという矢先の去年春、膠原病に罹ったことを公表しました。
本当に温厚な性格で知られていて、とにかく彼女に世話になったという後輩に話を聞いても、パワハラとは無縁のエピソードがたくさん出てきますね。
今いろんな方々が生前の彼女との思い出をメディアで語っていて、それがネットに載っているので、そういうものを見聞きして彼女の人となりを知ったうえで、改めて彼女の優しい歌声を聴くと、立体的な響きがあろうかと思います。このタイミングで彼女の歌声を聴いて、みんなで彼女の功績を称えたいなと思います。







