戦犯も戦没者と同様の取り扱いに

冬至堅太郎のファイルに残されていた「人と日本」の記事

毎日新聞のここまでの記事は「横浜発」と記されていて、横浜の支局で取材にあたっている。そして本社では井上忠男にコメントをとった。

<毎日新聞 1953年12月10日朝刊>
復員局法務調査課井上課長談:こちらにある資料と火葬場の台帳の数が合致したので処刑された五十三名と確認しました。戦没者と同様に取り扱い、遺家族に弔慰金を支給するよう目下大蔵省と交渉している。


4日後、ついに遺灰が掘り出された。井上の記録より引用する。

<井上忠男「巣鴨戦犯遺骨の埋葬秘話」人と日本(行政通信社 1975年新春号)>
わたしたちが、横浜市役所の許可を得て、いよいよ残骨灰を取り出したのは、昭和二十八年十二月十四日である。その日、午前十時半、火葬場の裏手にあって桜の木のもとに建つ供養塔の前には、神奈川県世話課、復員局、戦争受刑者世話会、火葬場の職員などが集まり、僧侶による読経ののち、主として復員局職員の手で供養塔の底から遺骨、遺灰を取り出した。深さ二間(注・約364センチ)にもおよぶ穴なので、竿のさきにバケツをくくりつけてすくい出したのである。