火葬人数と死刑執行の日が一致

久保山火葬場の残灰を埋葬した場所に建てられた供養塔

A級戦犯と同様に、BC級戦犯も火葬のあと、米軍が持ち帰りきれなかった残灰は、残灰を捨てる穴に埋められていた。久保山火葬場を訪ねた井上は、そこで火葬台帳を点検させてもらった。すると冬至から情報が伝えられた通り、火葬された数とスガモプリズンでの死刑執行の日が符号していた。

<井上忠男「巣鴨戦犯遺骨の埋葬秘話」人と日本(行政通信社 1975年新春号)>
米軍は台帳に戦犯刑死者の氏名を記すようなことはしていない。無名の米軍人を火葬した、というかたちをとっているのである。しかし、巣鴨における死刑執行の日と重ね合わせてゆくと、まったく一致する。それらは、亡くなった戦犯者たちの火葬記録にちがいないと思われた。安堵して事務室の外に出たわたしは、火葬場の構内に建てられた供養塔に両掌を合わせたことをおぼえている。そこは、残灰を埋葬した場所で、建立は昭和二十五年十月、飛田場長以下有志の手になったと刻まれてあった。